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スエヒロの社員があれこれアップしていきます

社内活動社員インタビュー

第2回 しくじり先生

8月末、昨年と同じく池袋 自由学園 明日館にて第2回「スエヒロ しくじり先生」を開催しました

 

会が始まる前にまず感動したのはこの会場

自由学園は羽仁吉一・もと子夫妻により大正10年(1921)に女学校として創立

明日館はその誕生当時の校舎で、設計は世界的建築家のフランク・ロイド・ライトが手掛けています

太平洋戦争末期の空襲被災や老朽化による取り壊しも免れ、「プレーリースタイル」と呼ばれる

ライトの第一期黄金期の作風を今に伝える重要文化財建造物として、多くの人に利用されながら

保存されています

まさに、今回の会にうってつけの素晴らしい会場でした

本題の第2回しくじり先生は

スエヒロ設計一しくじらないベテランYさんに

入社からのご自身の経験をその時代背景も含めて

お話しいただきました

昭和後期から平成・令和までのスエヒロ設計の建築の歴史そのもので、とても貴重な内容でした

質問1:今の東京都庁が立つ前には何があったでしょう

質問2:東京都庁は今の新宿の前はどこにあったでしょう

質問3:ディズニーランドが出来る前そこは何だったでしょうか

質問4:スカイツリーの建設場所の候補地は現在の墨田区の他どこだったでしょう

皆さん、答えわかりますか

 

都庁は昔現在の有楽町の国際フォーラムのところにあり、今の都庁の場所には淀橋浄水場があったそうです

ディズニーランドが出来る前の答えは海!ディズニーランドは埋め立て地に建っているのだそうです!!

都庁建設のころは、女性の社会進出がめざましく「マドンナ旋風」などとよばれた時期でしたので

女性用トイレや託児施設が追加される大設計変更があり、なんと200枚の図面を一週間で仕上げたのだとか

まだCADの普及前の手書きの時代に恐るべし・・・です

そして今や東京タワーと並んでランドマークとなっているスカイツリーですが

明治生命さいたま新都心ビルのすぐ近くが当時候補地の一つとなっていたのだとか

阪神淡路大震災後には、地震対策の他企業テロ対策も盛り込まれるようになったことや

PCの2000年問題対応で、一人PCの前で待機していたこと

姉歯事件の後、建築基準法、建築士法が厳しくなったこと等

身をもって経験されてきたことに、大変驚きました

 

ご自身は建物が出来たときの達成感や建物を使う方に喜んでいただける事を大切に

「図面(施工図・製作図)ですべて(工法、品質、安全性)が決まる」

をモットーにお仕事されてきたそうです

最後に私が一番心に残った言葉です

仕事は真面目に謙虚に、その自分の仕事を見てもらうことが営業

楽をする方法を考えるより、その壁を乗り越える方法を考えよう

これからもよろしくお願いいたします

 

 

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